情報編集とリテラシーの問題
インターネットは生まれてまだ数十年しか経っていませんが、すでに私たちの生活にはなくてはならないものになっています。
情報はパソコンやスマートフォンを通して簡単に入手することができるようになりました。
それと同時に1つの情報が社会に与えるインパクトも大きくなっており、間違った情報が拡散されてしまうことで軋轢が生まれたり、人々の印象を操作することすらもできるようになっています。
特に日本は情報に関する教育が遅れています。
何が正しく、何が違っているのか判断する目を養っていかなくてはなりません。
情弱と呼ばれる言葉が誕生したように、間違った情報を信じ切ってしまう人も多く、そのような人たちは簡単に人に操作されてしまうでしょう。
正しいものを見極める力と同時に、発信する情報の編集力も教育する必要があります。
簡単に情報にアクセスできる時代だからこそ、人間の感情に語り掛けてくるような編集力をつけていかなくてはなりません。
AIの発展によって簡単な文章であれば機械が作成することもできるようになりました。
そこに付加価値をもたらすのは人間の編集力なのです。
編集力が上がると理解度が高まる
教育の現場ではたくさんの情報がありますが、情報を発信するだけであればその仕事はAIにいつか取って代わられる日がやってくるでしょう。
そこで大切なのが編集力になります。
情報をうまくつなげたり分類することによって、ただ羅列しただけのものから1つの形にすることができます。
この編集の工程を持って人間が作った人間らしさを入れることができるのです。
今の段階ではAIにはまだ人間の感情に訴えかけるような文章を作ることはできません。
エモーショナルな文章に触れることで、読み手の感情も成長に導いてくれるでしょう。
編集力を上げるためには日ごろから多くの情報に触れて情報収集力を高め、正しいものを見極める能力を身に着けることと、得られた情報をつなぎ合わせて形作る練習が必要です。
そのためには自分自分の頭で考える思考力や判断力、表現力を身に着けていかなくてはなりません。
収集力が高まるとインプットが増えるので、編集力も上がっていきます。
まとめ
情報技術の進歩やコロナ禍のような社会的な問題を背景に、教育の現場でも変化が求められています。
デジタル化したことで身の回りには便利なものが溢れていますが、課題も上がってきています。
情報を発信する側も、受け取る側もリテラシーを高めていかなくてはなりません。
教育の差はいずれ競争力の差になっていきます。
日本は資源が少ない国ですが、唯一多いのが「人材」です。
人材をしっかりと育て上げていくことは国の発展には必要不可欠です。